東京高等裁判所 昭和27年(う)2815号 判決 1952年9月13日
控訴人 被告人 石井欽也
弁護人 江波戸文夫
検察官 司波実関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人江波戸文夫の控訴理由は、末尾に添附する控訴趣意書と題する書面に記載するとおりである。
ところで刑法第二五二条第二項にいう「公務所より保管を命ぜられたる」関係の成立するためには、単に物につき公務所から保管命令を受けた事実があればいいのであつて、先ず物を公務所に提出し、公務所が一たんこれを領置した後、更にこれが占有を提出者に移転するというがごとき手続を履践しなければならないわけではない。従つて、物が公務所に任意に提出されたかどうか、或は公務所が一たんこれを領置したかどうかというがごときは、同条にいう保管関係の成立を認定するについて必要な前提条件ではない。しかり、而して、原判示鉄材は判示松田秀夫から判示新田地区警察署に任意提出され、同警察署において、領置手続を採つた上、右松田秀夫に保管を命じておいたというのであり、しかも該事実は原判決の挙示する証拠によつて優に証明することができるのであるから判示鉄材につき刑法第二五二条第二項にいう保管関係の成立ありとするも何等妨げるものはない。従つて、判示松田秀夫の提出が任意でなかつたとか、或は判示新田地区警察署が事実上領置しなかつたとか、いうようなことを理由として右にいう、公務所から命ぜられた保管関係の成立を否定することはできないものといわなくてはならない。そして被告人は判示鉄材を無断で他に搬出したのである。しかもその搬出行為たるや、処分の意思を以つて為したものであることは原判示証拠によつて証明し得られるので、それは言う迄もなく、判示警察署の保管命令の本旨とする所に戻るものであつて、明らかに横領意思の発現と見なければならない。してみれば、原判決が判示事実を認定した上、これに対して刑法第二五二条第二項第一項を適用して被告人を処断したのは、まことに正当である。原判決には論旨第一点において主張するような事実の誤認はない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)
控訴趣意
第一、原審判決には刑事訴訟法第三百八十二条の事実の誤認がある。
(イ)原審判決はその犯罪事実の認定に於いて前略「石井栄一に対する賍物故買被疑事件が発生したため昭和二十七年一月二十五日前記格納庫の解体跡地に現存した鉄材約百五拾トン位に対し新田地区警察署が同会社の右現場主任松田秀夫から任意提出を求めこれが領置手続を採つた上同人に保管を命じておいたその情を知りながら」中略云々と認定して居るが適法に領置手続を採り松田秀夫に保管をせしめたとの事実認定は誤りである。即ち本件公訴事実の中犯罪構成要件たる保管関係であるが本件の鉄屑は当時松田秀夫が新田地区警察署に任意提出し新田地区警察署において領置した上同人に保管を命じたことに書類上はなつている(甲第一号乃至甲第三号証御参照)然し右松田秀夫は株式会社石井商店の一店員であることは原審第三回公判に於ける同人の証人尋問調書及び原審証人石井栄一の証人尋問調書並に甲第二十六号証(前橋地検太田支部に於ける検察官に対する松田秀夫の供述調書)により明白であるが一店員が百五拾トン余の鉄材、価格にしても最低百六拾万円余の物件を果して任意提出するの権能があるであろうか。本弁護人は当該物件に対する任意提出の権限がない者から提出は無効のものであると思料する。
夫れ我が国の新憲法はその第二十九条に於いて財産権の不可侵を明示し又その第三十五条に於いては何人もその住居書類及び所持品について侵入捜索及び押収を受けることのない権利は憲法第三十三条の場合を除いては正当な理由に基いて発せられ且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ侵されないと規定し新刑事訴訟法はその第百九十七条において捜査は任意捜査を原則とし強制の処分はこの法律に特別に定めある場合でなければ之をすることが出来ない旨を定めているにも拘らず新田地区警察署に於いて領置手続をとつた昭和二十七年一月二十五日に突如として係官の鈴木茂三郎氏が本件格納庫の解体現場に来たり解体物件のトン数を聞いたたけで検察官提出の甲第一号証に署名捺印せしめ之を以つて任意提出書と為したが斯の如きことは前示憲法の法条並に刑事訴訟法の規定に違反した無効の領置手続と云わねばならない。この無効の事実は原審第三回公判の松田秀夫に対する証人尋問調書中検察官の質問に対し答「印刷物に鉄骨のトン数を書いたものを出しました。それは同日鈴木巡査がトン数を聞きにきましたそのとき同巡査は主人石井栄一の供述調書を持参しその内容をみせられ現場のことは一切松田に聞くようにとの事でした。そこで私は在庫トン数は百五拾トン位と答えて書類に署名しました」問「どんな書面であつたか」答「百五拾トンと書いて私の名前を記入しましたその他のことはよく憶えていません」問「トン数以外に問答はなかつたか」答「トン数だけのことでした」問「この書面は知つているか」答「私が署名した書面です」問「これに記載されているトン数は誰れが書いたか」答「トン数は私が書いたものではありません多分鈴木巡査が書いたものと思います」云々の供述記載に照らすときは本件領置手続が違憲の所為であるため何等保管関係の成立を来さないことが判明しよう。
(ロ)本件が任意提出なりと呼称する所謂任意提出には任意性がないから無効である。
検察官立証に係る甲第三十一号証(新田地区警察署に於ける石井栄一の供述調書)の第三項によれば「問題の格納庫の解体した鉄材は御署で必要との事でありますから現場にありますだけ一応提出しますから現場主任の松田秀夫にみて戴いてそのトン数を領置して下さい」その第四項には「只私としては故買という罪名だけは是非何とかしてもらいたいと思つて居ります」の陳述記載がある。これでは松田秀夫が任意提出をしたのかそれとも石井栄一が任意提出したのか不明である。仮に右石井栄一に於いて任意提出の意思表示を為したとしても同人は警察に留置せられて居つたから事実上任意提出は出来ない又仮に同人に於いて任意提出したとしても前示調書第四項の記載の如く故買という罪名を免かるる為めの交換条件の下に意思表示を為したものと見受けられるから真の任意性は失われている。従つて同人の提出は勿論同人の指示によつて松田秀夫が仮りに提出したとしてもその所謂任意提出は無効と云わなければならない。尚本件領置物件提出に任意性を欠如して居ることを詳論すれば、検察官提出に係る甲第二十五号証(新田地区警察署司法警察員横山英一郎に対する松田秀夫の第一回供述調書)第九項中「十二月の二十日夜長物制限外の許可をとりに此の警察に運転手を寄らせたところあの格納庫の鉄骨は脅迫窃盗容疑で告訴されてあるから一寸待てというわけで貰えないのでそのトラツクは現場に一応帰り鉄屑をおろし空車を東京にかえしました」旨の供述記載。同十項には「十二月の二十二日の昼現場に警察の鈴木さんが来て此の品物は古物商法によつて一時運搬を中止するから今迄通りに保管してくれと云われ保管請書をその時私名義で提出しました。その時更に鈴木されは一両日中解決のつき次第何れ沙汰さすからその積りで居てくれと云われました」の供述記載更にその十一項には「その間は運搬を中止して居りました。一ケ月たつて一月の二十日頃又鈴木さんが来て賍物の疑がある為め刑法によつて差押えるから運搬せず責任を以て保管してくれと云われましたのでその積りで居りました」の各供述記載を綜合すれば如何に本件領置手続が任意性を欠くものであるかを窺うことができるであろう。全くの素人に対し刑法によつて差押えると云うのだからその当事者に与える威圧感は深いものがあろう。斯くの如く本件領置はその任意性を欠如して居るのである。わが刑事訴訟法第二百二十一条は物の所有者所持者若しくは保管者が任意提出したる物件はこれを領置出来る旨の規定を掲げているがこれはあくまでも本人の真の任意性あるものでなければならないと思う。若しそうでないとすれば新憲法が折角昂揚した基本的人権の保護も任意提出の美名の下に其の実を失うに至るからである。従つて此の観点から云つても本件保管関係は成立しない。
(ハ)仮に本件の任意提出の意思表示が有効に為されたとしてもその領置の成立には領置物件に対し事実上占有の移転を必要とすることは領置の性質からみて言を俟たない。にも拘らず事実上占有が領置者たる新田地区警察署に移転せられた形跡がないから本件保管関係は成立しない。弁護人がここに申すまでもなく領置と差押との差異は物に対する占有の移転が強制力によるか占有者の任意によるかであつて押収としての効力には差等あるものではない。ところで本件の領置がその占有を移転したかどうかを検討するに本件押収に係る鉄材は検察官提出の甲第十三号証(写真)第一図等の影像並に原審第三回公判における鈴木証人の証言の如く本件物件は新田郡生品村旧陸軍飛行場に存在し広大なる地域に散在しているのに之れを点検乃至集積の手段も構ぜず彼の時計や衣類の如く一片の任意提出書により事実上占有の移転を得たりと為すが如きは不合理極まるもので実際に於いて占有の移転はない。見よその任意提出書なるものを、松田秀夫から係官に於いて受領するに際し別にそのトン数も計量せず松田秀夫の目算により算定し何等現場に於いて之れを正確に算定せずあまつさえ押収したることを公示するが如き手続を為さなかつたことは原審第三回公判期日に於ける原審証人鈴木茂三郎松田秀夫の証言により明白である。右原審証人鈴木の証人尋問調書中「任意提出書に書かれてあるトン数は目算であること右の目算は松田の独自の計算によれる旨、保管をさせたが立札などの表示もせず領置物件は相当広範囲に大変散乱してあつた旨」の供述記載を綜合すれば本件領置につきては事実上占有の移転がなかつたのであるから保管関係は成立しない。
(ニ)本件被告人は領得の意思がないのに拘らず原審判決が領得行為ありと認定したことは重大なる事実の錯誤がある。
刑法第二百五十二条第二項の準横領罪の成立するには同条第一項と同様に領得の意思を必要とすることは判例学説の認むるところである。ところで本件被告人には本件搬出物件に対しては何等不正領得の意思が存在しないのである。原審挙示の各証拠を精読検討するも本件被告人に領得の意思ありと断ずる証拠は何もない。只僅かに甲第二十九号証(昭和二十七年二月二十二日田場川検事に対する被告人の供述調書)第九項の末段に於いて「東京へ運んだ鉄骨を担保に金も借りられるからこの様なことは致しません」の一節があるのみである。この一節すら其の表現が曖昧模糊として居り被告人に於いて領得の意思ありと断定する資料には周匝の注意を払うことを要する。況んや被告人は原審第三回公判の裁判に於いて此点に関する本弁護人の問に対し「私にはそういう意味はありませんでしたそれは検察官から担保にできるだろうねと聞かれたのでそういうこともできますと答えるともうこういうことをしてはいけないよといわれたのでもう致しませんと答えて来たのです」と供述して居る点からみても前示検察官に対する供述書の末段は領得の意思ありと為す資料に供することは出来ない。しかし斯様な証拠の末節を窺うより事案の大局から本件を観察してみると被告人の領得の犯意のないことが一目瞭然である。それは財産に対する犯罪の動因が多くは貧困若しくは財政の破綻によつて生ずるのが常である。然るに被告人の父は個人としてその資産たる動産不動産を含めて五百万円以上を所有し本件の解体物件たる格納庫も五百五拾万円の現金にて買受けたるが如き或いは又昭和二十六年度申告所得税も実に四拾五万五千八拾円也を算し(原審記録添附の本弁護人の上申書添附の納税証明書及び乙第一号証の一乃至四、乙第二号証、乙第四号証並原審第三回公判に於ける証人石井栄一の証人尋問調書御参照)して居り被告人も未だ独身乍ら株式会社石井商店の専務取締役として会社の株六百株を所有して居り何等財政的に破綻の事実はない。此の点から云つても横領罪まで犯してその収入を計る必要は見られないのである。又本弁護人が第一審に於いて弁論したる如く犯罪者には検挙の恐怖があるし暗々裡に起きる犯罪なれば兎に角形式的にもせよ保管を命じたものは警察署である。その保管を破れば忽ちにして犯罪は発覚する。しかも白昼堂々トラツクを以つて保管物件を搬出するのであるから未発覚を予期することは出来ない。この関係は何人でも容易に認識し得るのに何故白痴に非ざる被告人は本件犯罪を敢行したか。これ本件の真相解明の一大前提である。この点につき被告人は原審第三回公判廷に於いて検察官の物件無断搬出の理由の質問に対し「二回お願い致しましたのですが許可がでませんでした。その中父が賍物故買で逮捕され十日半位警察にいつていました。そして釈放後四月十一日に検察庁へお願に行つたものです。私としては学校側は全然逮捕されず私方のみが圧迫されていたので邪推して無断で運搬する気になりました。旨並に本件物件を売却することも自店で使用する気もない」と供述しているのである。
又同日の公判に於ける裁判官の質問に対しては事件を早期に解決したい為め搬出したこと並に物件を移動しただけでは罪にならないと思つて居つた旨を述べているが売買其の他本件物件に対する領得の意思があつたことは述べてないのである。只茲で問題になるのは警察の許可なくして搬出した一点であるが手続不履行の過誤があつたとしても必しも領得の意思があつたとすることは出来ない。判例に云う「正当の手続を経ずして公金を村の用途に支出したる所為は例え正規の支出手続を踏まざる違法ありとするも職務上保管せる公金を以つて公費に使用したるは所有者の物として所有者のために処分したるものにして被告等に自己に領得する意思ありと云うべからずと」と(大審院明治四十五年(れ)第一八六七号同年十月二十六日判決学説判例総覧改正刑法各論下巻九四一頁御参照)之を要するに原審挙示の各証拠によるも被告人には領得の意思が認められないのである。にも拘らず原審が領得横領したと認定したことは事実の重大な誤認である。以上(イ)(ロ)(ハ)(ニ)に記載した様に原審は事実の認定につき重大なる誤認を為している。しかもこの事実誤認は判決に重大なる影響を及ぼすべきものであるから冒頭掲記の法条に準拠して控訴趣意書第一点とするものである。
(その他の控訴趣意は省略する。)